あの頃の神戸市 須磨
須磨という地名は、六甲山系の西端、鉢伏山・鉄枴山が海に迫る平地のすみで、畿内の西すみに位置するため「すみ」がなまって「すま」になったといわれています。須磨は、古い歴史を持ち、阪神・淡路大震災による壊滅的な被害から復興した既成市街地と、住宅や公園・公共施設などが計画的に配置され、1960年代から入居が始まったニュータウン、田園風景を残す農業地域、これらの地域を森・川・海が包み込むように構成されています。特に「須磨の浦」と呼ばれる、海を臨む美しい眺望は、古くから文人たちの憧れでした。神戸市の発展・拡大によって須磨の地にも鉄道が敷設され、住民と行楽客が急増するにつれて、須磨の風景は大きく変容しました。かつてはのどかな漁場がありましたが、都市化の進行による人口増や別荘地の建設だけでなく、鉄道会社が沿線に海水浴場や遊園地を運営したことも影響して、観光地となっていったことがわかります。