明治期の湊川(2)
湊川も、生田川と同じく付け替え工事が行われました。天王谷川から石井川の合流点付近から、現在の湊川公園を経て新開地方面へ流れる旧湊川は川底が平地より6mも高い天井川で、しばしば氾濫するだけでなく、流出土砂によって神戸港が埋没すること、東西交通を妨げることから、付け替えが求められました。1896年の大水害をきっかけに、翌年地元の有志が湊川改修会社を設立して、合流点下流の菊水橋付近から南西に流路を掘り、西側の苅藻川に合流させる付け替え工事が始まりました。1901年には、会下山を湊川が貫通する、日本初の河川トンネルとして湊川隧道が完成しました。旧湊川は河川堤防が削られて湊川新開地になり、昭和初期には神戸一の繁華街として栄えました。